ちくちくと。~声に出せないほんとのところ~

私の病気のことや、趣味について書いてます。扱っている話題については基本ノンジャンルです。

私が思う、緘黙の人の発話を可能にする要因

おはようございます、ミユキです。

出先なので珍しく空いた時間に更新してみましたw

 

今日は場面緘黙症の人がどうなったら発話できるようになるのか、私の考える要因を述べてみようと思います。

ちなみに私は幼稚園入園~中学卒業まで緘黙の症状が出ていました。

当時は症状の名前さえもよくわかってなかったけど、私が話せるようになったのには今考えるといくつかの要因があったのだと思うんです。

(「話せるようになった」と言っても、治った後も対人関係を築くのが苦手な人から一見普通と変わらないぐらいになる人もいるそうです。

このように予後どうなるかは様々ですが、ここではとりあえず「誰かと問題なく会話ができる」ことを基準に考えてみようと思います)

 

 

周囲の人達の助け

家族関係

 家族関係は傍から見る分には普通なのかな?

たまに両親がケンカしてたりしますが...。

でも、家族の存在がいわゆる毒だったとか、そう思ったことはないです。

 

ただ、学生時代(小学校~)はいわゆる不登校だったのですが、不登校になりたてのときは理解してもらえなくて辛かったのを覚えています。

母からは学校で声が出ないのを理解してもらえなかったし、兄弟たちからはずる休みだと思われていたのは本当に辛かったですね...。

今思えば、生まれて初めて人生に絶望したのはこのあたりだったかもしれません。

 

そんな家族達も、不登校になったことを理解してくれるきっかけがありました。

それは私が小学校時代にいじめにあったとき。

特に母は、私が辛いときにいつも相談に乗ってくれました。

母の存在がなければ、あの時の私はどうなっていたか...。

本当に感謝しかないですね。

 

 

学校側の配慮

小学校ぐらいまでは正直人間関係に恵まれていなかったと思うのですが(家族の理解も薄かったし)、中学校に上がってからはやや改善されたかな?と思います。

と言っても相変わらず嫌な人はいたし、学校に行くのが辛かったことに変わりはありませんでしたが...。

 

でもそんな中、学年の先生達は私が不登校であることを知ってかある程度気を遣ってくれていたように思います。

廊下で声をかけてもらったりとか、今思えば結構あった気がしますし。

 

特に中学2,3年のときの担任の先生は休み時間の集まりに呼んでくれたり、クラス会で役割を作ったりしてくれました。

今思えばいろいろやってくれていたんですが、あまりそれに応えられてないところもあったのかな...。

当時の私にとっては学校へ行くことだけでいっぱいいっぱいだったので、そこはちょっと申し訳なかったですかね。

 

保健の先生や学生相談室のスクールカウンセラーの先生にも本当にお世話になりました。

教室に行くことがとても苦痛だった私にとって、学校内で何も言わず受け入れてくれる場所があったのはとても救いでしたね。

 

 

周囲の人達に感謝の気持ちを持てた

 と、上記のようなことがあって、ひとつ気づいたことがあったんです。

それは、「私を支えてくれる人は案外周りにいっぱいいるんだ」ということ。

学生時代、私は自分のことが大嫌いでした。

学校内で声が出ないことによって自信を失い、自分を責め続けるという負のスパイラルに陥ってしまっていたのです。

そうしていくうちに、容姿も性格も、自分のあらゆるところが大嫌いになっていました。

 

だから当然、私の味方をしてくれる人なんていないんだと思っていました。

例え誰かが困ったときに手を貸してくれたとしても、どうせ私のいないところで私の陰口を言っているんだ、と。

 

 そんな考えを変えたきっかけは、当時飲んでいた薬の離脱作用によるひどい鬱状態から回復したときのことでした。

あのときは暗い部屋に引きこもって延々自分を責め続け、「死んでしまいたい」と考えたこともありました。

でも、そのときにふと、自分を支えてくれる人の存在を思い出しました。

家族、学校の先生、心配して声をかけてくれたクラスメイトや同じ部活の人達...。

 

変な話、自分を一度嫌いになって責め続けるようになると、悪い意味で自分しか見えなくなるんですよね。

周りには手を差し伸べてくれる人がたくさんいるのに、自分を信じられなくなってしまうことで他人までもが信じられなくなってしまう。

こんなにもったいないことってないですよ。

 

私はこうやって人を信じられるようになったことで、自分の世界が大きく変わりました。

真っ暗で長いトンネルの中から抜け出して、まぶしいぐらいの太陽の光と青空が広がったような感覚は今でもはっきりと覚えています。

自分は今までずっと孤独だと思っていたけれど、支えてくれる人たちの存在がとても心強く思えるし、そういう人たちをもっと大切にしようと思いました。

 

もし今友達がいないとか、自分は孤独だと悩んでいる人がいたら、是非一度立ち止まって考えてほしい。

あなたの周りに、困ったときに手を差し伸べてくれたり、あなたのいいところを見つけて褒めてくれる人はいませんか?

もし思い当たる人がいるなら、その人が本当の意味であなたが大切にすべき人ですよ。

 

自分に自信を持てるようになった

 ...とはいうものの、私には正直そこまで自分に自信があるわけではありません(笑)

ただ、変わったことは「自己否定をやめた」というところ。

 

私の場合、そのきっかけは音楽の歌のテストで先生に歌を褒めてもらえたことでした。

緘黙持ちの人は通常「歌うのが苦手」と感じる人が多いようなのですが、私は逆に歌っているときの方が声が出ていました。

特に音楽の授業だと合唱が多いので、必然的に自分の声が他の人の声でかき消されるからさほどストレスも感じず、むしろ「思いきり声を出せるのってすごくすっきりするな」ぐらいに思っていました(笑)

 

歌を褒めてもらえるようになってからはとても自信がつきましたね。

というのも、これまでは自分の悪いところにばかり目を向けていたんです。

それが、他の人の指摘によって初めて自分の良いところ、得意なことを見つけることができた。

ここで私は「自分にも優れたところがあるんじゃん!」ということに気づき、何もできない自分を責めるのをやめました。

これはかなり重要だと思います。

 

さらに、音楽の授業もこれまで以上に熱心に取り組むようになりました。

合唱のときに伴奏でピアノを弾いたり、自分から主導して歌の練習をしたこともありました。

当時の自分からしたら信じられないw

 

何か一つでも自分の得意なことを見つけよう

私の場合は歌でしたが、個人個人で違いはあるものの「得意なこと、自信のあること」ってみんなにあると思うんですよね。

 

学校の成績や運動神経が良いとかじゃなくても、「絵が得意」「料理が得意」「ゲームが得意」から「AKBのメンバーの名前を全員言える」とかでもいいんです。

あとは性格のことでもいいですよね。

「人に優しくできる」「友達がいっぱいいる」「コツコツ努力できる」これだってとても立派なことです。

 

ここで注意したいのが、「ここは得意だけど自分より誰々の方が上」とかは考えないでください。

 あくまで「自分のいいところを見つける」ことに意義があるので、そこを忘れずに。


そのためには、まず人から褒められたことに耳を傾けることですね。

「○○が上手だね」とか、「あなたのこういうところがいい」なんてことを言われたら、そこを大切にしましょう。



まとめ

以上のことをまとめると、


・周囲の人の理解
・感謝の気持ちを持つ
・何か一つでも自分が自信のあることを見つける

の3点が、私が緘黙から抜け出したきっかけだと思います。

書いてて気づいたんですが、自分の頑張りは案外あまり関係ないのかもしれませんね。
自発的にしゃべろうとするのもいいかもしれませんが、無理に努力しようとするのは私の経験上悪化する可能性もあるのであまりおすすめしません。

もしそれでも「ちょっと頑張ってみよう」と思ったら、挨拶してみるのがいいでしょう。
挨拶だったら一言言えばいいだけなので、無理して長くしゃべろうとするよりは負担が少ないはずです。
(ただ、無視されたりすると結構ショックなのでやっぱり無理にやることはないですが)


大切なのは、周りの人(正確には、周りの人に言われた褒め言葉)に目を向けることです。
そして、自分をもっと大切にすること。

この2つを、ちょっと意識してみてください。
自分では「私は人より劣っている」と思っていても、視点を変えてみたら素晴らしいところがたくさん見えてくるはずですよ(^-^)