ちくちくと。~声に出せないほんとのところ~

私の病気のことや、趣味について書いてます。扱っている話題については基本ノンジャンルです。

私が20代で学んだこと

こんばんは、ミユキです。

 

今日は私にとって20代最後の日。

つまり、明日で30歳になりますw

もう若いと呼ばれる年齢ではなくなってしまうんですね...(遠い目)

 

いろいろ複雑な気持ちはありますが、そんな中でも20代のうちに学んできたことって今思えばたくさんありました。

特に、ものの考え方、価値観が大きく変わった年代でもありましたね。

そんなわけで今日は、私が20代のうちに学んだことを書いていこうと思います。

 

 

場面緘黙症」の存在を知った

私が初めて場面緘黙症という病名を知ったのは、大学を卒業してからでした。

それは、私がこれまで何も知らずにずっと抱えてきた苦しみの正体を知った瞬間でもありました。

これまでは何だかよくわからなかったけど、病名がわかっただけでも肩の荷がすっと下りるものなんですね。

 

この詳細についてはこっちにも書いたので、ぜひ読んでみてください。

 

okiagarimike.hatenablog.jp

 

そして、私は現在、この病気のことを少しでも多くの人に知ってもらえるよう、ゆっくりなペースですが自主的に啓発を始めています。

ツイッターでは、おかげさまでたくさんの方からのリツイート・いいねをいただき、↑の記事を広めるツイートのインプレッションが1,000を超えました。

本当にありがとうございます。

 

 

ツイッターのフォロワーさんも、同じ場面緘黙症を抱えている方が一気に増えました。

この病気を抱えて唯一よかったところですね(笑)

同じ病気を持った方と情報共有できるのはすごくいいことだと思うので、ツイッターの方もしっかり更新していきたいと思います。

 

 

WEBで発信するという楽しみを知った

ツイッターもこのブログもそうですが、「自分の言葉を発信する」ということに活路を見いだせたことも私にとってはとても良かったと思います。

 

というのも、私は緘黙が治ってきたとはいえ症状が完全になくなったわけではなく、リアルだとどうしても意思表示が困難になってしまうからです。

全く話せないわけではないけど、うまく話せる状況や相手がどうしても限られてしまう故、意思表示がうまくいかず疲労困憊になってしまうことも多々あるわけです。

 

そういう意味ではネットで自分の言葉を発するというのは一種のアウトプットにもなりますし、精神衛生上結構救われてるところもあったりします。

もちろん、緘黙の後遺症もあるので長文を書くっていうのはなかなか難しいんですが...。

(感覚的にいえば、自分の思いを言葉にしようとすると脳が勝手にシャットアウトしちゃうので)

現にこのブログの文章を書くときもすごく時間かかってますしね(笑)

 

さらに、このネットというものに私はとてつもない可能性を感じています。

使いようによってはいずれ単なる意思表示以上のことができる気がしてるんですよね。

ネットをどう使いこなすかは自分次第。

これは私自身今後すごく楽しみなことでもあるので、この分野に関してはより深く学んでいきたいと思っています。

 

 

社会に迎合する必要はないということ

日本社会はすごく恵まれた生活ができる反面、不条理なことも数多く持ち合わせています。

例えば、集団主義やそれによる同調圧力、精神論・根性論の蔓延、ブラック労働なんかはその最たるものですね。

特に同調圧力がもたらす影響は深刻で、これのせいで大多数の人が生きづらくなっていると言っても過言ではないでしょう。

 

実は私自身もそうでした。

これまで私は、自分のことをずっと責めながら生きてきました。

学校に通えない自分、周りの人達とうまくやっていけない自分、仕事ができない自分...。

常に周囲の人と比べては、「私は何でこんなにできが悪いんだろう」と、自分を責める毎日が続きました。

 

しかし、ネットで様々な人たちの多様な考えに触れ、その考えは大きく変わっていきました。

世間体のためだけに大多数の人達に合わせる必要はない、私は私で良いんだと。

ときに極端な価値観に染まってしまったこともありましたが(苦笑)無理に世間一般の価値観に迎合することが自分にとって大きな負担になってしまっていたことを知ることができたのは、私にとって大きな転換点でした。

 

 

私は海外に出たことはまだ一度もありませんが、正直日本社会ほどあらゆる面で少数派の人達が生きづらい社会ってないと思うんですよね。

日本社会は多数派がすべて。

だから結果的に、少数派の人達はいつも端っこの方に追いやられてしまいます。

 

でも、そこで自分を卑下する必要なんてどこにもない。

本来、人間はみんな違うのが当たり前のはずです。

みんな同じであること前提で動くこと自体が間違っている。

だから、この記事を読んだ人が少しでも「自分はみんなと違う」と思うことがあっても、自信を持って生きてほしいんです。

 

私は社会に迎合せずに生きていくための手段を選びました。

幼少のころからずっと他の人達に合わせようと頑張ってきたけど、それはもう無理だということに気付いたからです。

前の仕事で体調を崩し、SADが悪化したときに悟りました。

 

今やっていることは上手くいけば自分自身にとって大きく前進できるチャンスです。

少しずつでも成果を出そうと、日々頑張っています。

 

 

ついでに日本社会全般をディスってしまうと、世の中の大多数は無駄なことで溢れてると思うんですよね。

私は余計な雑音に耳を貸す必要もないし、自分の力でコツコツやっていこうと思います。

 

それにしても、ここまでたどりつくのにずいぶん長い時間がかかったな...。

腰を上げるのが遅い私ですが、一歩踏み出す勇気って大事なんですね。

つくづく身に沁みます。

 

 

私は私でいい

さっきのことと関連しますが、結局自分は自分、他人は他人なんですよ。

だから無理に周りに合わせることもないし、みんな仲良しでいる必要もないと思うんです。

世の中にはいろんな人がいます。

そうなると当然合う人もいれば合わない人もいますよね。

合わない人に無理に合わせることなんてしなくていいんです。

もし合わない人がいたら、適当に受け流しておけばいいんですよ。

 

私は常に「自分は自分」の精神でいきます。

 

 

まとめ

はい、こうやって書いてるうちにいろんなことがぽんぽん出てきました(笑)

 

しかし、こうやって書いてはみたものの私は全然強い人間じゃありません。

人間は怖いものだと思ってるし、SAD持ちということもあって常に他人の顔色をうかがいつつビクビク生活しています(笑)

 

でも、こうやって心持ちひとつ変えるだけでも生きていく上での負担の量は全然違います。

今はずいぶん楽な方ですよ。

 

というわけで、この記事を一言でまとめると「ネット様様」。

これにつきますね(笑)

場面緘黙のことを知ることができたのもここまで価値観が変わったのも、すべてネットのおかげですから。

(もちろん、ネットはあくまで多様な価値観を知る「手段」でしかないので書いてることを過信しすぎるのもよくありませんが...。)

 

 

私はまだまだ突っ走っていきます。

世間的にはもう若くないかもしれませんが、気持ちだけは若いつもりでいきます。

だって今の人生は80年ですよ?まだ半分もいってないじゃないですか。

私がどこまで生きるのかは知りませんが...(笑)

 

最近、時間をもっと有効に使おうと決めました。

それだけやりたいことが多すぎるから。

緘黙のこともまだまだ広めていきたいし、お金も稼がなきゃいけないし、少しでも多く練習してピアノが上手くなりたい。

 

私の人生は、これからが正念場です。

堂々と自分の道を生きていこうと思います。

というわけで、30歳になってもこのブログをよろしくお願いします!